INTERVIEW

中澤社長のこれまでの経歴や、バリアフリーカンパニー設立の目的をフェローがインタビューしました。

――ご自身が難病だとわかったのはいつですか?

中澤:べスレムミオパチーという難病だとわかったのは、2005年原因不明の脳内出血を起こして慈恵医大病院に入院したときです。それまでも、病名はわかりませんでしたが、生まれつき手足などの力が弱く、不自由さを感じていました。

中澤

体の不自由さが、バリアをなくしたいという思いにつながっています!

――学校はどうしたのですか?

中澤:小学校に入学する年齢になると、体の力が弱いことから、学校側からは普通校ではなく、養護学校(現在の特別支援学校)に行くように指導されました。ですが、私は一般校に行って、友達と学校生活を送りたかった。そんな希望が叶ったのは、親や周りの先生達の応援があったからです。小学校・中学校・高校・大学と一般校で学びました。

中澤

健常者と同じフィールドで学んだことが、現在の私を形作っています!

――就職は大変だったのではないですか?

中澤:最初は躊躇していましたが、いざ一般企業への就職を目指して就職活動を始めてみると、試験を受けた10社のうち、なんと8社で総合職として面接試験までこぎつけ、そのうちの5社から内々定をもらいました。すべて東証1部上場企業です。そして、人事の担当者と一番気のあった久保田鉄工に決めました。入社後は、障害に関係なく希望する仕事にどんどん挑戦させてもらえました。

中澤

希望する職種で力を蓄えられたことが、今の仕事にも大いに役立っています!

――バリアフリーに関する活動を始めたのはいつ頃ですか?

中澤:会社勤めの頃の、年一度の海外旅行を通じて、バリアだらけの日本をなんとかしたいと感じていました。そんなとき、日本赤十字社のボランティアグループ、赤十字語学奉仕団(海外から来る障害のある人を支援する団体)が発行している、東京を訪れる方向けの観光ガイドブック『アクセシブル東京』の存在を知ったのです。私はそこで、日本の障害者事情に関する知識や経験を生かし、ボランティア活動を開始しました。

中澤

このボランティア活動が、のちのバリアフリーカンパニー設立へとつながります!

――バリアフリーカンパニー設立のきっかけを教えてください。

中澤:『アクセシブル東京』が新たに日英二カ国語版を発行することになり、その制作・編集をボランティアで手伝うことになりました。その際に調査に行ったホテルなどの施設からバリアフリーに関するノウハウを教えてほしいという声が上がったのです。

 この体験から、障害の当事者である私は、これまでの経験から得たノウハウを提供できるような仕事(コンサルタント)を始めたいと思うようになりました。

中澤

私の経験を生かせる仕事を見つけた!と感じた瞬間でした!

――現在の活動を教えてください。

中澤:ボランティアとしての経験がきっかけとなり、2001年3月、15年間勤めた久保田鉄工(現在の(株)クボタ)を退社し、同年、バリアフリーカンパニーを設立しました。おもに民間企業を対象とした、バリアフリー、ユニバーサルデザインを広める会社です。

 これまでの活動に加え、今年(2020年)から新たにYouTubeのチャンネルを開設します。弊社の活動を、みなさんにより知ってもらいたいとの思いからです。

――バリアフリーカンパニーの「フェロー」とは?

中澤:弊社のフェローは、『五体不満足』の乙武氏をはじめ、各分野で専門的に活躍されている方々です。自ら障害のある方もいますし、弁護士、建築士、フィナンシャルのプロなど、その職種は多岐にわたります。フェローのみなさんには、実際のプロジェクトに関するアドバイスをいただいたり、より直接的に、プロジェクトを支援していただいています。

 弊社が行なうさまざまなコンサルティングや企業研修は、すべて私の経験に基づいています。よりリアルに現在の状況を体感している私が、バリアフリーに関するソリューションを引き出し、より効率的に解決にできるようお手伝いをします。

 さらに、私のネットワークを通じて、障害がありながら社会で活躍している方々の意見も取り入れながら、コンサルティングを行っています。

中澤

 目指すところは、文字通りバリアフリーな社会の確立です!